感情の面倒を見させる

いいか、私を不機嫌にさせるな。
その声を捉えた時刻、私は友達とファミレスでご飯を食べていた。
声を辿ると辿り着いた先は、2つ離れた左隣りの席にいる女性だった。
彼女がそう命じた相手は、彼女の子どもであろう幼い男の子だった。
一度視線を自分の手元に戻すために、辿ったのと同じ道を逆走する。
帰ってくるとき、その家族の席と我々の席の間には、
ワンピースを着た50代ぐらいの女性が何事もないかのようにサラダを食べていたのが見えた。
思わず私は助けを求めるように周りをさっと盗み見たが、店内は小さい子供連れファミリーで溢れかえっており、その発言を捉えたのは恐らく私だけのようだった。
 
その光景は、私にその家庭に介入させる衝動を掻き立てはしたが、
果たしてそれがよいことなのかが分からなかった。
 
しばらくすると、彼女がテーブルの端に置かれたコードレスチャイムを繰り返し押している。ピンポンとなり、重ねるようにピンポンピンピンポンと音がなる。彼女は鳴った瞬間に店員が来ないと気が済まないようで、ここの店員は接客がなってへんわ!と吐き捨てる。
彼女の足元には、彼女自身の不機嫌な感情が散らばっている。
 
しかし彼女と同じテーブルに座る子どもも、彼女の父親と思われる男性も、何も反応しない。
宙に発せられた彼女の感情は、誰も回収することなく散っていく。
もちろん彼女が自分で回収することもない。
彼らという空間がそのテーブルを囲んで出来上がっていく。
 
 
彼女は明日の予定を楽しそうに話しているのがふと聞こえてくる。
明日はお母さんの友達が来るから、一緒にプール行こな。
それにすら、誰も反応することなく宙に舞って消えていった。