私は悪くない

自転車がまた盗まれたの。
目の前に座る知り合いが、ふと訪れた話の切れ目を縫うようにそう言った。
 
 1回目は3ヶ月ぐらい前なんだけど、
住んでいるアパートの共同駐輪場に停めていた自転車がいつの間にか盗まれてたの。
でもね、すごく面白いんだけど、私が盗まれたことに気づく前に、犯人というか、盗んだ子は隣の区で補導されたの。夜中に、知らない番号からやたらと電話がかかってくるなぁと思ってたんだけど、無視して寝ちゃったら、次の日の朝、警察署の人がやって来て事情を説明された。
そこで初めて8000円で買った中古自転車が盗まれていることに気づいたの。
 
 親切に自転車も大きな車で持ってきてくれて、
被害届っていうのかなぁ、紙を書いてる時に、
どうして分かったんですか?って聞いてみたら、
”男の子なのに深夜にピンクの自転車だったから、まぁ怪しいなと思いましてきいてみたら最初は否定したんですけど、しどろもどろだったのでまぁ途中から認めたという感じですね。”だって教えてくれたよ。
 
こういうの、超スピード解決って言うんだね。
速すぎて、盗まれたことに気づかなかった私が間抜けみたい。
 
まぁその時は近くの大学の大学生が盗んだみたいで、
むしろよくこんな山際のアパートにある駐輪場の一台に目を止めたなぁって関心しちゃった。
 
 それでね、1週間前にまた盗まれたの、私の自転車。
今回は、知らない番号から電話がかかってくることも、朝警察の人が家にくることも無さそうかなぁ。
 
それまで面白がり特有の小気味よい声を私に提供してくれていた彼女の声は、
突如私には分からない複雑さを増す。
今回は、一度盗まれたことがあるのに鍵をつけっぱなしにしていた私がどう見ても悪い、と反省が始まる。
私たちは、普段から親しい相手の移動手段が変わると、何となくそれに気づく能力がある。「あれ、今日は自転車じゃないの?」と。
そうやって、話そうと思ってなくても事情を説明することがある。
親に話すと、どうして鍵をつけておかなかったの、と問われる。
友人に話すと、鍵をつけないのが悪い、と言われる。
あぁ、鍵をつけっぱなしにしたことと過去の私と、
鍵をかけたり外したりするのがめんどくさい私のこの性格が悪いんだなぁって。
私の目の前で、彼女は悲しそうな顔を見せる。
 
ちょっと、待って。いや、だいぶ待って。
鍵のついた自転車が盗まれることを前提として思考が始まるのは、おかしい。
ならば殺された人は殺されないように気をつけていなかったことが悪いのか。
あなたの論理はそういうことになる。
あなたは他の人にはきっと「あなたが悪い」なんて言わないのに、
どうして自分には「私が悪い」を採用するのか。
 
だから、私がきっぱり言います。
そもそも、あなたは悪くない。
盗んだ人が悪い。
 
そう伝えると彼女は吹きだした。
うん、ほんとはね、めちゃくちゃ怒っている。
私の自転車を返せ、このやろーと思ってる。
自転車なんか盗むんじゃねーと思ってる。
盗まれた方の不便さを考えろこのやろーと思ってる。
と言った。
 
それは自己を正しく守る術として、大切な思考と感情だと思うのです。
そしてそれは、健全な人ができる主張です。
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