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世界からの隠れ方

それをすることが嫌で嫌で、この世からそういう機会が全て無くなればいいのにと思う。世から無くなることが難しくても、せめて私のもとには訪れることなく、あっちも私を無視してくれればいい。私以外のところへ行けば、その方が何かと上手く回る。

私の場合、物事を進めるには人とやりとりすることが不可欠で。

大方の人がそれに当てはまるものだとは思うのだが、私の場合と書いたのはやはり私がそうしなくても済むようになることを望んでいることの現れだ。

私は知っていることを書くのではない。書いたことが私に知らせる。

 

メッセンジャーやslackやchatworkと呼ばれるアプリをちらりとでも見てしまうと、

私とこの閉じた世界をまもっている(だがまもり切るには貧弱な)堤防が決壊する音を今までも何度も聞いている。

普段私はそれらについては、パソコンではなくてiPadで見ることにしている。3年ほど前にiPadを買った日に、だがiPadを買った大型家電量販店とは違う店で買った、オレンジ色のカバーがつけてある。1年半前の旅行先で、青空に興奮して走り回り自分の足にカンっと躓いてこけた時に、このオレンジpadも共にこけた。私たちは砂利道に盛大に倒れた。私のお気に入りのブルーのスカンツは破れ、オレンジpadは角が欠けた。

そんなiPadを開いたとき私も開かざるを得ない。

普段それらの通知機能はonにされている。私が通常で元気だったときに設定したのだが、教えてほしければこちらから見ることができるのに、なぜ画面に勝手にうつり込むのだと今では理不尽な怒りを機械に対して覚える。だが今はどんなメッセージも見たくない。催促も心配もいらない。私をひとりにしてくれ

あらゆる人との回線を介しての連絡が途絶えても私が死んだわけではない。私の体はちゃんと物体としてある。ネットからその痕跡が薄れつつあっても、私のスレッドがどんどん下がって目につく回数が減ったとしても、私の体はちゃんとあるのだから。

iPadは5日前の就寝時に電池が切れてから充電されていない。

今回は今までの何倍も世界をかたく閉ざしている。